エッセイ│てくのえっせい 446

“辰年を迎えるにあたって”

顔写真

広島工業大学名誉教授
中山勝矢

暮れも迫り、片付けをしていたら懐かしい油絵が出て来ました。メモに「1982年秋 暮色筑波山」とあり、地域の開発を先導する鉄筋ビルと古くからの筑波山でした。(写真1)

筑波山は古代から関東平野一円を見渡してきた名山です。新しく進む研究学園都市の実現を夢に、当時を写生した絵であれば捨てるに捨てられず、額に入れて掛け直しました。

掃除やら片付けやら、日頃の手抜きを悔みながら作業が続きます。色々なものが出て来るので、手に取って昔を偲ぶ一方で、年賀状の準備もしなければなりません。

今年は卯年で、年初はデザインされたウサギが溢れていました。来年は辰年で、絵柄は龍(タツ)になります。どんなデザインがお目見得するのか、楽しみの一つです。(写真2)

暮色筑波山
(写真1)暮色筑波山「40年前に、筑波研究学園都市を夢に見ながら描いた執筆者の油絵」

ウサギ年の今年の正月に見られたウサギの絵
(写真2)ウサギ年の今年の正月に見られたウサギの絵「ウサギが餅を搗くことにしてデザインされた。資料から執筆者が作成」

十二支の配置図
(写真3)十二支の配置図「北を子(ネ)、南を午(ウマ)とし、それぞれに30度を割り振ってある。資料から執筆者が作成」
歴史をたどる

暦や時刻、方位を「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」と順序付けたのを広く十二支(じゅうにし)と呼びますが、そのもとは中国です。(写真3)

これは今から2千年以上も昔、中国の殷や戦国の時代に始まったようですが、この仕組みを最初に受け止め、人々に利用させるのは容易ではなかったでしょう。

当時はまだ寺小屋も学校もありません。狩猟中心の生活から定住して牧畜や農業を営む時代に向っていましたから、身近に小動物がいて、接する機会が多かったはずです。

知恵ある人の工夫で、漢字本来の意味や音を離れて「ネ、ウシ、トラ、ウ、タツ、ミ、ウマ、ヒツジ、サル、トリ、イヌ、イ」と身近な動物名による音列が作られたのでしょう。

この十二支は日本だけでなく、韓国、ベトナム、タイからチベット、白ロシア、モンゴルにまでも広がり、使われているといいますから驚きます。

ただこれらの動物を知らない地域では、猫と入替え、牛が水牛に、龍を鯨やワニにした土地もあったのです。それほど人は活発に往来して交易をしてきたと考えられます。

ところで12の席に12の動物を選び、しかも意味ありげに順序を決めてある点にも、興味が湧いてきます。何か手掛りはないかと調べていたら、一つの説話に出会いました。

そこには、十二支を決めるとき、動物たちに早い者勝ちだと呼びかけ、早く来たものから席を決めていったとありました。でも、龍が8番目に来た理由は分かりません。

どうして龍がいるのか

十二支の動物は、早い者勝ちの呼びかけで駆けつけたことになっていますが、龍は格が違います。大海や地底に住んで自在に雲を呼び、雨を降らせる半神なのです。(写真4)

その他にも理解に苦しむことがあります。12のうち11は身近に見ることのできた動物です。それに反し、龍だけが現実に存在しない伝説の、あるいは想像上の動物なのです。

現実にいない架空の動物を一匹だけ、何故ここに入れたのか、人々は理解に苦しまなかったのかと気になります。当時の人は、現実と空想が混在した生活をしていたのでしょう。

早い者勝ちという指示にしても、駆けつけた順に席を決めた話にも聞けます。これは社会の上層部の感覚というより、庶民層の日常生活における慣習だったとも考えられます。

十二支が暦や時刻、方位に関係して生まれた言葉なら、その役割を担った関係者が仕事の関係で常用した技術用語で、それを一般社会が受け入れていったのかもしれません。

インドの神話で龍は蛇を神格化したもので仏法守護の天竜八部衆に含まれ、優れた人物を喩えるのにも使われます。さらに天子に関しては「龍顔」のような形で使われています。

筑波山を写生しながら、1000年も2000年も昔から、この場所で人間のやることを見て来た山は、どんな思いで研究学園都市の建設を見ていたのかと複雑な心境になりました。

想像上の半神 <龍>
(写真4)想像上の半神 <龍>「体から火を噴き、爪のある4本の脚を持っている。資料を参考に執筆者が作成」
経済産業省 中国経済産業局 電子広報誌

ちゅうごく地域ナビ 2023年12月1日掲載

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