エッセイ│てくのえっせい 414

“想いの籠った手土産の乙女椿”

顔写真

広島工業大学名誉教授
中山勝矢

春というと、どうしたわけか、われわれは満開の桜を思い浮べてしまいます。海外の人は、それは日本の社会に染みついた特異な感覚だと言うのです。

イメージする桜も、江戸期に人為的に作られた品種のソメイヨシノなのです。その特徴は一斉に花が開いて散る点で、軍人精神に因んで公共的な場所に意図的に植えられました。

若い頃、吉野に桜を見に行きましたが、野生の山桜があちこちに纏まった形である程度で、山一面が桜ではありませんでした。それが自然にある桜の姿で、美しく目立ちました。

冬に耐えて咲く花

ところで春に咲く花には、冬のうちから花を付けるものもあります。植えてある場所にもよりますが、山茶花(さざんか)は、早くも1月中に花のお披露目をしています。

椿の中では乙女椿(おとめつばき)が早いのです。ピンク色の花弁は重なり合って黄色の雄蕊を包み、中を見せません。なるほど花言葉は「控えめな美」でした。(写真1)

(写真1) 春が近づき、開きかけた乙女椿の花「花言葉は<控えめな美>1月下旬に著者撮影」

追いかけるように梅が咲き出します。ろう梅(ろうばい)と呼ばれる品種は花が早くて、黄色の小さな花と甘い香りに惹かれた小鳥がついばみにやってきます。(写真2a,b)

(写真2a) 梅の中では早く咲くろう梅「2月中旬に著者撮影」

2月になると、ろう梅を追って、白梅や紅梅が咲き出し、賑やかになります。その頃、桜はまだ蕾も小さく、葉も僅かで、眠りから覚めずに冬の寒さに耐えている風情なのです。

いま住んでいる東京郊外の府中市には、郷土の森博物館があって、ろう梅から白梅、紅梅など1100本も植えてあります。花は常に白梅が先で紅梅が後でなく、興味が湧きます。

(写真2b) ろう梅の花をついばむ小鳥「2月中旬に著者撮影」

休日にはかなりの人が見に来ます。広いので3密を気にせず、車いすの人や手を引かれている人の間を縫って、小一時間ばかり散歩を兼ねた観察をしてきました。

そこには、厳しい冬の寒さに耐えて芽を出し、蕾を形づくり、なかにはその命を誇示するように花を一つ、二つ開いている木もあるといった具合です。見ると愛おしくなります。

植物はそれぞれ、長い間、厳しい環境に耐えて生き残ったはずです。日の長さや気温の変化を敏感に汲み取り、適宜調節しながら花を開いてきたのに違いありません。(写真3)

(写真3)花が乏しい白梅の立木「2月中旬に著者撮影」

しかし満開の花をつけた白梅の隣りで、枯木さながらの姿で別の白梅が立っているのには首を傾げました。自然の恵みに濃淡があるのかと不思議な思いになりました。(写真4)

手土産の椿のメッセージ

今から85年余りも前、まだ小学校にも入っていなかった頃の話です。当時住んでいた東京郊外の荻窪から、JR中央線の中野駅と高円寺駅の中程にあった戸建ての貸家に越しました。

(写真4) 種類によっては花が満開の紅梅と白梅「2月初旬に著者撮影」

板塀の家で、西側の家との間に大家さん所有の大きな柿の木がありました。秋には実をたわわにつけた枝がこちらの庭に顔を出し、甘い実を落としてくれたものでした。

借りた家には小さい庭があり、その真ん中に子どもの背丈程の乙女椿が、それもたった一本だけ植わっていて、毎年ピンクの花で春の訪れを知らせてくれていました。

両親は「懇意の若い女性が新居移転のお祝いに手に提げて持ってきたのよ」と話していました。お名前は憶えていません。でも子どもなりに素敵な話として記憶に残りました。

その後、乙女椿の西側数mの場所に用の済んだクリスマスツリーを植えたのです。それでこの2本の木は、子どもにとり、具体的に1年を思う場所となったのです。

自然の恵みとは何なのか、1年とはどういうことなのか、子どもには分かりにくいものです。両親が健全で、家庭が円満なら、それですべてでしょう。

でも手に提げて持ってきてくれた1本の乙女椿を毎日見ていたら、寒い冬を耐え、その後で春一番に美しい花を付ける乙女椿の努力が少しずつ理解できたものです。

乙女椿の蕾とともにクリスマスが来て、お正月が来て、花が開く頃、新しい年が始まり、誰でもウキウキします。子ども心に、冬に耐える意味が理解できたものでした。

人間とは独立に、環境の変化に耐えて生きてきた植物から学びたいことが山ほどあります。春に花を開き、実を結ぶために冬を耐える植物から人類の将来を考えたいものです。

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経済産業省 中国経済産業局 電子広報誌

ちゅうごく地域ナビ 2021年4月22日掲載

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