広島工業大学名誉教授
中山勝矢
初冬の季語として、歳時記の11月の項目に「小正月」と並べて「神無月(かんなづき)」が出てきます。そしてさらに後者には、旧暦10月の異称だと注を入れてあります。
それなのに市販の太陽暦カレンダーは、10月の傍らに神無月とあり、少々混乱をしました。旧暦10月は、太陽暦では毎年大凡11月の後半からの1か月になるからです。
神無月は、縁結びの会議に全国から八百万余の神々が出雲に集まるという神事に関係しています。縁結びを願うなら、旧暦10月に出雲大社を参詣しなければ意味がありません。
この出雲大社には巨大な注連縄(しめなわ)があり、驚かされます。古代の大社は高さが50mに近い木造の大建造物だったようで、相応しかったのかもしれません。(写真1)
古事記に出てくる古い説話では、天照大神が再び岩戸に籠らないように岩戸に注連縄を張ったとあります。注連縄で清と不浄を区分し、立ち入りを禁じたようです。(写真2)
古くからこうした役割を与えられていた注連縄は、飾りを付けて目印にする慣習が生まれました。立派な滝や巨石、年を経た樹木、さらに横綱の土俵入りの姿などにみられます。
俗な言葉で言えば、心を整え、いやしくもその場所にチリ紙や吸殻などを捨てることなく、敬虔な気持ちで近づくことを求めているわけです。
それにしても出雲大社の注連縄は巨大です。これを稲わらで作るのは、大変な作業のはずです。取り換えに際しては、伝統の技術を守る人々によって担われてきました。
注連縄は古来、聖なる場所やものを示すためでしたが、時代とともに人々の思いが籠められ、捩じった藁に注連飾りと呼ばれる飾りを付けるようになっていったのでしょう。
稲わらで作られた様々な注連縄と注連飾りを見る機会がありました。白い和紙を折り畳んで吊るすだけでなく、注連縄自体を美しく型に仕上げたものが多く、興味が湧きました。
わが国では、祝い事に関連して注連縄を見ることがあります。お祝いのパーティーのときに、壇上に酒樽を据え、蓋を木槌で叩き割り、酒を汲み分けることをいたします。
ときとしてこの樽に注連飾りの付いた注連縄が巻いてあるのを見ます。神聖な特別な意味の酒ということが参加者の気持ちを高め、厳粛な雰囲気を醸し出します。
会場側のホテルも様々な工夫をして、洋風のスタイルにわが国伝来の慣習を組合わせることをします。注連縄は誰しも理解できるので、パーティーが盛り上がるわけです。
贈答品や熨斗袋に使う水引(みずひき)も、こうしたわれわれの感性を強く引き継ぐ小道具です。贈答に際して、特別の気持ちを先方に伝える役目を担っています。
水引は藁ではなく紙を細く巻いて作ってあり、多くは紅白に、あるいは白黒に染めわけてあります。これらには作るにも、使うにも、素朴で真心が籠められていると感じます。
つねづね熨斗(のし)袋や熨斗紙を求めに専門店を訪れ、品を見たときに想うのですが、金銀を散りばめた豪華品よりも、心が籠った美しさの方に目が行きます。 (写真3)
紐を結わくことは、誰も出来そうで、そう簡単な作業ではありません。多分、親から教えられたのでしょうが、殆どその記憶がないほど、指の動作に深く擦り込まれています
わが国の社会では固結びも花結びも、口で言えば意味が通じます。お祝いなら水引の先を戻して花結び、不祝儀は二度ないように結び切りと言う内容も理解できます。(写真4)
いつまでも口だけで意思疎通できるのは、考えてみれば、大変なことです。国内である限り、地域差も感じません。海外はどうなのか、興味が湧いてきます。
世の中には結び方研究会もあり、熱心に美しさを探求する人々がいました。拝見した展示品は様々で、帯締めから羽織の紐、さらに男袴の紐の結び方まで取り上げていました。
誰でもできる結ぶ作業は簡単そうですが、材料、色彩から結び方、その意味まで、遠い先祖たちが磨いてきた感性に溢れた生活文化です。関心を注ぎ、長く残したいものです。
ちゅうごく地域ナビ 2020年11月2日掲載
Copyright Chugoku Bureau of Economy,Trade and Industry.