エッセイ│てくのえっせい 367

時代に応えるビジネス感覚

顔写真

広島工業大学名誉教授
中山勝矢

海外と比べたら、わが国の観光スポットに石造の遺物が見られません。歴史的なモノだと説明される神社、仏閣、御殿、城郭など、いずれもほとんどが木造建造物なのです。

神社では式年遷宮が行われています。一方で仏閣では法隆寺のような飛鳥時代の創建から昭和の大修理まで何と1300年もの間、保守と修理を重ねてきたものがあります。

これは世界的に稀有なことです。そのために専門の工匠がさまざまな技術を千年以上も伝えてきました。そこに、わが国の文化の一つの基盤があるように思えます。

エコ体制の推進

明治までの殆どの日本人は、木と木綿で暮らしを立ててきました。それがいまは鉄鋼、セメント、ガラス、プラスチック、化学繊維に囲まれた生活で、木に郷愁を感じるのです。

木や木綿は時代遅れの厄介な材料とさえ言われる有様で、必要なら輸入すればよく、ときには国産品は要らないとする風潮さえ見受けられます。

そのために林業は将来の見通しが立たず、山村は寂れるばかりという状態に追い込まれてきていました。ここ10年、これではいけないと考える人が増えているのです。

その一人が、岡山県真庭市で製材業を営んできた銘建工業株式会社の中島浩一郎社長さんです。創業は大正12(1923)年ですから、決して新しい企業ではありません。(写真1)

(写真1)銘建工業株式会社の中島浩一郎社長
※写真は銘建工業株式会社からの提供
  (以下同じ)

初期段階ではもっぱら国産材の製材をしていましたが、昭和45(1970)年に集成材の製造を始めました。ちょうど同じ時期の大阪万博でも、カナダ館にカナダ産の集成材が使われていたようです。

製材や集成材の製造時、切り屑や商品にならない端材が出てきます。従来から木材乾燥の熱源として利用してきたのですが、米国視察を機に昭和59(1984)年にバイオマス発電に着手したのでした。

最初に導入した発電システムは175kWの規模でしたが、それでも木材乾燥機の夜間電力が賄え、大きなメリットがありました。

その後、平成10(1998)年には1950kWの発電所を稼働させ、さらに平成16(2004)年からは木質ペレット燃料の製造も開始しました。副産物を利用する、これら木質バイオマス事業は環境貢献になるだけでなく、会社の大きな収益源になっているそうです。

新ビジネスへの挑戦

ベニア板をご存知でしょうか。薄い木の板を接着剤で貼り合わせたものです。銘建工業さんが挑んだのは、もっと大きくて新しい木質建材CLTでした。

CLTというのはCross Laminated Timberの略で、訳せば直交集成板となります。厚みのある板を、木目を縦と横に直交する形で貼り合わせるものです。(写真2)

(写真2)積み上げられた国産杉のCLT(直交集成板)

平成22(2010)年に、国土交通省は「“木の家づくり”から林業再生を考える委員会」を立ち上げます。委員として参画し、ヨーロッパで普及し始めたCLTを紹介した中島さんは、自身でもCLTへの取り組みを始めました。

海外に劣らない3階以上の木造建築、つまりビルディングが狙いでした。そのためには建築基準法の改正が必要で、関係企業に呼びかけ、日本CLT協会を発足させたのでした。(写真3)

(写真3)国内初のCLTによる3階建ての建築物

古代から木に恵まれる自然環境と調和する生活を続けてきた者にとって、木への親しみは文化の基盤にあり、失いたくありません。日本再興戦略にもCLTの普及が盛り込まれました。

銘建工業さんでは、平成24(2012)年にCLT製造ラインを完成。製造技術を確立し、平成28(2016)年には年間30,000m2を製造できる、大型のCLT工場を完成させました。

このような重要な技術を社会に浸透させるための活発な活動に対し、平成27(2015)年の第6回ものづくり大賞中国経済産業局長賞が銘建工業株式会社の中島社長さんに授与されています。

<参考資料>

西岡常一、小原二郎「法隆寺を支えた木」
(NHKブックス、初刷1978、日本放送出版協会)

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経済産業省 中国経済産業局 電子広報誌

ちゅうごく地域ナビ 2017年5月10日掲載

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