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てくのえっせい450

暑いも寒いも彼岸まで

2024年4月1日
広島工業大学名誉教授
中山勝矢

昔から、「暑いも寒いも彼岸まで」と言われてきました。今日はまさに春の彼岸の日で、「春分」でした。最近は秋の彼岸の日も「秋分」と呼びますが、日取りは同じです。

秋なら日が落ちて涼しくなった風を扇子で胸元に呼び込むと、エアコンとは一味違う気分になります。春だと冷たい風の翌日は強い日差しに戻り、戸惑うことがあります。

でも人は勝手なもので、初夏の兆しを感じれば今年の桜はどうかと気にします。「桜通り」には、公園で開かれる「さくら祭り」の案内が掲げられる有様です。(写真1)

(写真1)市民桜まつりの標識「市内の桜通りに立てられた案内の例 執筆者撮影」

桜に込められた思い

こうした多くの人々の関心に応えて、気象庁は各地の管区事務所に桜の開花ウォッチャーを置いていますし、その情報はマスコミが誌上や放送で伝えています。

桜の花は、平安時代の和歌にも見られます。つまり、わが国では冬と夏とを仕分ける花として、古くから広く人の心を捉えて来たのでしょう。

ところでわが国原生の桜は一種類ではありません。山桜、紅山桜、彼岸桜などとあり、木の大きさも花の寿命も様々だと言えるほど種類が多いのです。

若い頃から、奈良県吉野の里が桜の名所だということは聞いていました。かねてから、それがどんな所で、どんな桜なのか知りたいと考えてきました。

関西での学会の帰途、吉野の里を訪れてみました。吉野の桜を見に行くような機会は、将来二度とあるまいといった気持ちで、駅から幾つかの岡を超えて歩いた覚えがあります。

緑なす林の中に花をつけた山桜が一本見え、別の方角にまた一本という程度だったのです。古い城郭や神社仏閣、公園などに見る名所の桜の雰囲気ではありません。

案内のパンフレットに、山桜は日本に自生する桜の一つだとあります。花の咲き方もかなり地味で、私たちが抱く一斉に咲き、一斉に散るというイメージとは大違いでした。

焼けた桜と武士魂

現在、身の回りで目に入るほとんどの桜は「ソメイヨシノ」です。江戸時代末期に、江戸は染井の植木屋だった吉野屋で生まれた新種で、急速に全国に広がりました。

広まった理由は、花の寿命が比較的短く、散り際が潔くて武士の人生観と結び付いたのです。その結果「花は桜木、人は武士」という言葉が生まれたほどでした。

江戸時代末期から明治時代初期には、桜のソメイヨシノは武士の風格と死の覚悟を表すとされ、熱心に城郭や神社、仏閣、公園、学校などへの植樹が推奨されました。(写真2)

当然のことながら、戦争の時代には、それは国民の精神教育に繋がりました。「桜伐るバカ、梅伐らぬバカ」といわれ、見事に咲いた桜の枝を持ち歩こうものなら大目玉でした。

今から79年前、終戦の年の昭和20(1920)年3月10日には東京大空襲がありました。早速自転車で、焼け出された伯父の家を見舞う途中で見た多量の焼けた桜も忘れられません。

(写真2)桜通りで街路樹として植えてあるソメイヨシノ「日当たりが良いので花は満開で見事でした。 執筆者撮影」


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