てくのえっせい448

初夢で梅の世界を訪れる

2024年2月1日
広島工業大学名誉教授
中山勝矢

まだ学生で、父の家にいた昔、庭の木立の間で朝、小鳥がバタバタと飛びながら、「ホーホケキョ」ではなく「ケキョ、ケキョ」と騒ぐのに起こされたことがありました。

少ししたら静かになり、改めて「ホーホケキョ」と整った鳴き声になりました。2月の初めのことで、若い鶯の鳴き初めだったのかと、皆が笑ったものです。

他の鳥に先駆けて美しい声で鳴き始める鶯の鳴き声と、梅の花と、そしてその香りは早春の風物です。唐風趣味の貴族に愛されたようで、歌が残されています。 (写真1)

(写真1)見事に咲いた白い梅の花「執筆者撮影」

梅ジャムのプレゼント

 

梅の原産地は中国とあります。花は白と紅で、かぐわしい香りを放ちます。それらに心ひかれた奈良時代の人々は、種や苗木を持ち帰り、丹精して増やしたのでしょう。

いま住んでいる東京郊外の団地には沢山の大きな樹がありますが、その中の5本がウメで「伐採禁止」の札が付けてあります。以前は黄色く熟した実が沢山落ちていました。

ただ実が小粒のため梅干しには適していません。広島から戻り、この団地に腰を据えた際、同じ棟に住む年配の女性が「梅ジャム」を造り、祝ってくれたのを思い出します。

最近は状況が変わってしまいました。乾燥が進み、朝ベランダから見た駐車場の車は霜で白くなることがありません。

こうした状況が続くためか、植えられているウメの木は細くなり、枝ぶりも弱くて、花の蕾も減りました。落ちているウメの実は数も少ないだけでなく、貧弱なのです。(写真2)

(写真2)乾燥が続く環境に負けた梅の木「乾燥した気象が続き、花も実も乏しくなった梅の木、執筆者撮影」

4月の桜の前座を期待したい梅は、5本とも元気がなく、新しい枝もなく花は咲かず、香りとはほど遠い有様です。多分、自家用のウメ干しなどとても作れないと思われます。

気にするものの、団地の梅が絶滅する場面が早晩来るのに違いありません。冷たい風が吹き、乾燥しているために花は咲かず、結実せず、梅干しも作れない状態に陥っています。

これはささやかな経験だと言えばそのとおりですが、こんな状態が毎年続けば、その先にもっと悪い時が待っているのではないかと、不安になる毎日です。

この数年の間に、ハワイでも、カナダでも大きな山火事がありました。災害の現状は紹介されても、そこに至るまでの乾燥状況の具体的な紹介は乏しい気がします。

昔から不幸を招く気候はあったはずです。不安なときに幼稚な鶯の一声や梅の花の蕾、高貴な香りで人は慰められ、歌の一つも詠んで発想を転換して力を得たのかなと考えます。

単に大気中の湿度だけでなく、表土も樹木もどの程度燃えやすい状態に陥っているかを、統計的に、科学的な基礎から知りたいという気持ちが初夢になりました。

梅干しの思い出

夏の盛りが近い頃、黄色く実ったウメが大きなガラス瓶に入れられ、店先に置かれている時期があります。かなりの量ですが、最近の消費者なら、宅配で届けさせるでしょう。

自宅ではよく塩洗いをし、傷ものは除いて簀の子に並べ、広げて水分を切ります。それに塩と紫蘇の葉などを入れて押蓋をし、何日も寝かせば梅干しが出来上がります。

昔は各家庭でウメ干しを作ったものでした。ビワの実くらいの大きさから苺くらいのものまであります。自家用なら混ざっていても気にしませんが、商品だと粒を揃えています。

最近は、和歌山県の田辺で力を入れている「南高梅」が粒が大きく(直径2~3cm)、味も良いというので、消費者の評判がトップと考えていいでしょう。 (写真3)

(写真3)大型の南高梅の梅干し「和歌山県田辺の特産品、一粒の大きさも味も優れている、執筆者が撮影」

子どもの頃、弁当は白いご飯の真ん中に大きな梅干しが一つ埋まっている「日の丸弁当」が流行っていました。ご時世ですが、白いご飯に合っていて、食事が進んだものです。

戦後の給食時代と違って、牛乳も味噌汁もありません。でも弁当を持って行けるのは幸いでした。こんなことを覚えている人は、米寿か卒寿を超えた人だけかもしれません。

世界的に、その土地の固有の味覚にしろ、臭覚にしろ、歴史が古いものが多いのです。そしてそれは、その土地の気象や気候に関連しているのではないでしょうか。