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てくのえっせい444

古い話に新しい道を探る

2024年1月4日
広島工業大学名誉教授
中山勝矢

新年だからと、未来に目を注いでもたいしたものは見えてきません。むしろ多くの人が体験し、考え続けてきた話からは、間違いなく知恵が授かります。
 30年ほど前のこと、日中国交回復20周年を記念して、中国航空航天工業部から日本航空宇宙工業会に対し10日ほどの来訪を誘ってきました。日程は1992年5月だといいます。
 北京のロケット工場とリモートセンシングセンター、西安の無線電技術研究所と衛星の追跡センター、敦煌に近い酒泉ロケット打ち上げ基地とあり、50人程が手を挙げたのです。

らくだの世界

敦煌は古くからシルクロードの主要都市で、酒泉は400km程手前にあります。どちらもゴビ砂漠の一部ですが、先ず宿泊設備のある敦煌まで飛び、一泊して戻るのです。
 こんな辺鄙なところにロケットの射場が作られたのには、「耕地を取上げず、住民を移動させない」という周恩来総理の方針に基づいたとのことで、興味深いものを感じました。
 敦煌から酒泉まで鉄道で1時間半はかかりますが、ロケット本体も燃料も専用列車で運んでいます。案内された所にはソ連の技術援助時代の施設が残っていました。
 その後も酒泉の基地には関連する技術者とその家族が1万人もいるため、電気、給水、病院、学校、映画館、TV局まで整えられていました。来客も少なくないとのことです。
 敦煌空港での出迎えは、太陽能(ソーラーエネルギー)国際旅行社の名を大書したたすきを掛けた社員でした。その頃、太陽能利用は中国政府推進プロジェクトで、宿泊設備もここの経営でした。(写真1)
 目的の地点まで距離がある場合には観光用のらくだの用意もありました。鞍はなく背の瘤を2本の丸太で結わえ、被せてあるシートに座らされたのには戸迷いました。(写真2)
 参加者が多いので、いくつかのグループに分けられ、私どもの同伴は日本語の達者な女性通訳でした。慣れてくるにつれ、話題が広がり、楽しむことが出来ました。


(写真1)敦煌空港での出迎え「太陽能(ソーラーエネルギー)国際旅行社というたすきを掛けていた、執筆者撮影」

(写真2)観光客を乗せたらくだ「砂漠地帯はらくだの生活圏、敦煌で執筆者撮影」

らくだのオードブル

「らくだ」に乗り、この旅行社が経営するホテルに着きました。今晩はここで懇親の招宴があると聞き、強い酒の「カンペイ(乾杯)」が続くのは困るなと心配をしたものです。
 「カンペイ」はささやかでした。オードブルが珍しかったので聞くと「らくだの手のひら」だといいます。薄切りにしてあり、白くて柔らかそうで、風味は独特で酒に会います。
 誰かが「らくだの手のひら」でなく「らくだの足の裏」だろうと混ぜ返していましたが、四つ足の動物に手も足もありません。日本では見たことがないだけに興味が湧きました。
 しばしば、新しいネタ探しに、近所のスーパーマーケットの中を歩き回ります。そこで新しい課題を見つければ、それが考える糸口になるわけです。
 ある時、魚のコーナーで切り落とされたブリの頭がきちんと包装されているのを見つけました。不思議なことに、数日後に行った時も、その後も売れ残っていました。
 母の両親は金沢の出身なので、ブリは大好物でした。私にはこれが水炊用だとすぐにわかりましたが、一人住まいの現在は大きすぎるので、諦めています。(写真3)
 子どもの頃、母のお供をして魚屋に寄ったとき、別の客の依頼でブリを三枚に下ろし、頭と背骨はまな板の上に残したまま、客は支払いを済ませて出て行きました。
 母は魚屋に頼みました。「猫の餌に、それ譲って・・」と言い、買いました。「生きのいいブリだから、水炊きにしましょうね」と言われて水炊きを覚えたのです。
 知らない人には、らくだの手のひらの価値は分かりません。同様に水炊きを知りません。つね日頃、口にしておけば災害時に助かることもあるのではないでしょうか。


(写真3)スーパーマケットに並んだブリのあら「並べられてからしばらくは、買い手がつかなかった。執筆者撮影」


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